昨日の続きを頑張って書きます。
昨日は競争原理からスポットを軽く当てましたが、
まだまだイロイロな要素があると思われます。
私的にはTVやマスコミからも、かなり影響を受けてるんだと思うのですよ。
TVから得られる情報は非常に説得力があるのですが、
それは意図的に作られた説得力であって、自分で判断したモノじゃないから、
物事を単純に捉え過ぎてしまう気がするんですよね。
見ている人間には一つの現実がそこにあるんですが、
その現実は作られたモノであって、本当のコトとは微妙にズレている・・・
そう考えた上で見ないと、情報に””流される側””になってしまいます。
””流される側は・・・
情報を獲得するのではなく与えられるコトが当たり前になる。
↓
与えられたモノの中からしか選択肢を探さなくなる。
↓
いつの間にか、誰かの手助けがなければ物事を決定できなくなる。
こんな感じかな?””
先の選挙でこの考えは固まったんですが、
自民党の大勝は、案外単純なメディア戦略にあったと言えませんかね?
自分で判断ができない人間は、暴動なんて大それたコトはやりませんよ。
集団心理にかられない限り・・・
見てる側の影響に触れましたが、では流れてくるモノは何でしょうか?
『社風に沿った情報のみを流すニュース』
『勝ち組と呼ばれる人達の成功話』
『お金を持った人が貧乏人の立場を話し合ってる討論番組』
『一定の条件を満たした人のみが参加するお祭り騒ぎ』
『現実にはあり得ないドラマティックなストーリー』
はい!皆さ~ん、一歩引いてみて下さい・・・
『 そこにアナタが求める者はあるんですか? 』
TVには””ガス抜き””や””揺動””や””洗脳””など、
政治的な役割がたくさん織り交ぜられています。
それを分った上で適切な距離を取らないと、
所謂、戦時中の日本や一党独裁状態の中国と、
何も変わらない世界になってしまいますよ。
私達は日々競争に揉まれ、
社会へのストレスをTVで抜かれ、
明日への希望を単純な成功話から見出し、
いつの間にか愚民の道をまっしぐらに走っているのかもしれないですね・・・
ちなみに私は現在、1日ほとんどテレビを見ない生活をしています。
部屋にTVは置いてあるのですが、電源をつけない日がほとんどです。
散々ウダウダ書きましたが、
私がTVを見なくなったのは、上記したコトを思っての行動ではありません。
TVを見るのに異常なエネルギーを消費している自分に気づいたからです。
だって、いつか動かなくなる体なのに、
動かないでパワーを消費するのは何だ””もったいない””気がしませんか?
どうせなら消費するなら、デモとか暴動に使った方が良いと思いません??
前から書いてるんですが、
いつかテロリストになってしまいそうで、
自分でもいつブレーキが効かなくなるのか心配です。
お願いだから憲法改正をしたり、変な法案を通して私を刺激しないでね!!
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